彦根は江戸時代に生まれた城下町である。井伊家の都市計画の元に現在に至る。
都市計画において、古代中国の皇帝や日本の支配者たちが、都市づくりに利用してきた「四神相応(しじんそうおう)」という考え方がある。都市が栄えるためには、「四神相応」の地であることが求められ、四神とは「玄武」「青龍」「朱雀」「白虎」の聖獣を指す。玄武−北−黒、青竜−東−青、朱雀−南−赤、白虎−西−白、と方位と色に象徴されている。
中国では、四神は、背後の山が玄武、前方の水が朱雀、玄武を背にして左側の砂が青龍、右側が白虎である。背後に山、前方に海、湖沼、河川の水がある「背山臨水」の地を、左右から砂(さ)と呼ばれる背後の山よりも低い山で囲むことで蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいう(参考: Wikipedia)。
江戸時代の都市計画によってできた彦根のまちはどうか……。
●背後に山……彦根城は平山城で別名を金亀城という。玄武である。
●前方に河川……築城時に城内へ流れていた川を大工事を行い南につけかえている。朱雀である。
●武を背にして左側の砂……背後の山よりも高いが囲むようになっている。ここに石田三成の居城、佐和山があった。青龍となる。
●武を背にして右側が白虎……琵琶湖がある。
まさに、驚くほど「四神相応」となっている。
琵琶湖は古くは「鳰の海(におのうみ)」「淡海(おうみ)」と呼ばれ、「琵琶湖」と呼ばれ始めたのは江戸時代になってからだという。その根拠は楽器の「琵琶」に形が似ているからだと伝えられている。以前から、それほど似ているとは思えなかったが、ひょっとすると琵琶湖の名前の根拠も「四神相応」によるものではないか……。
「白虎」→「びゃっこ」→「びわっこ」→「びわこ」→「琵琶湖」「びわっこ」「びわこ」の時に初めて、琵琶の形に似ているなあと漢字が与えられたのではないだろうか。
月の美しい夜は、何処までも想像が翼を広げるものなのだ。